Newsletter Subscribe
Enter your email address below and subscribe to our newsletter

なぜ雑誌の表紙に「下着姿の男性」が登場するのか? そして、アメリカ・ヨーロッパ・アジアで、その“魅せ方”がここまで違うのはなぜなのか。雑誌に映る“男性美”から、時代とカルチャーが抱える欲望と理想をひもとく。

かつては“肌着”にすぎなかった男性下着。だが、1980年代、カルバン・クラインが仕掛けた挑発的な広告キャンペーンにより、「見せる下着」という発想が世界に広がった。
この流れは雑誌にも波及し、下着姿をフィーチャーした男性誌の表紙が次々と登場。下着は単なるインナーから、ファッション性とアイデンティティを象徴するアイテムへと進化を遂げた。

世界50カ国以上で展開されるフィットネスメディアの代表格、Men’s Healthの表紙をめくれば、「鍛えた身体は自己肯定感の証」と言わんばかりのビジュアルが並ぶ。リチャード・ギアやトム・クルーズが体現した1980年代以降、アメリカでは肉体そのものが“勝者の証”となった。
ここでは、裸の上半身やフィット感のあるスタイリングは、パフォーマンス資本主義の中で「努力の結果」として賞賛され、可視化された自己価値を表現するツールになっている。


一方、ヨーロッパの雑誌表紙は、アメリカとは異なる文脈を持つ。GQ ItaliaやVOGUE Hommesでは、筋肉美よりも輪郭やニュアンスの美しさが重視される。
裸体のニュアンスや衣服のディテールは「性的魅力」を含みながら、それを超えて「装い」としての意味を帯びる。身体は性の記号でありながら、同時に個性や洗練を語る“装飾言語”でもある──そんな審美主義的な伝統が息づいている。

アジア圏、特に韓国・中国の雑誌表紙では、過剰なマッチョ表現は避けられ、ナチュラルなボディラインと清潔感が重視される。
「共感される身体像」が理想とされ、下着ビジュアルも控えめで親しみやすい演出が施される。集団調和志向の社会では、誇示する身体よりも、“一緒にいられる身体”が好まれるのかもしれない。
では、こうした地域差は今後どうなっていくのか?

たとえばカルバン・クラインはBad Bunnyのキャンペーンを通じ、文化文脈に応じた多様性を取り込みながらも、グローバルブランドとしての一貫したトーンを守っている。雑誌と広告、別々の領域に見えながら、実はどちらも「誰にどう見せるか」という同じ美意識の流れに乗っている。ローカルな身体感覚や美意識は、なおも力強く息づいているのだ。
鍛えた腹筋に惹かれる? 洗練されたラインにときめく? それとも、親近感のあるナチュラルボディにほっこり?
そう、男性向けに作られた特集でありながら、雑誌の表紙に並ぶ彼らの下着姿は、女性たちの好奇心や審美眼も引き寄せている。ジェンダーやターゲットを超えて、私たち自身の欲望を映す鏡でもある。見せる体、見たい体──その“ファッション”は、時代とともに変化し続けている。